りゅうちゃん(ex.セルシト)の日記

元ロン毛大学生の、雑多な備忘録

電車の中にサンクチュアリがあった

今日、大学の最寄駅から電車に乗ろうとすると、ドアの入り口に近いところに4~5人の外国人が見えた。ドレッドヘアに首まで入った派手な色合いの入れ墨、人種も様々だ。男も女も背が高く体が大きい。

 

何から何まで典型的な日本人とは違う彼らに気圧され右に曲がろうとした瞬間、その集団の奥に見えたのは二つの空いた優先席。

 

夕方のこの時間帯は電車もそれなりに混雑しているというのに。普段ならこんなことは起ころうはずもないが、今日は事情が違う。俺と同じく彼らに気圧された人間が、優先席に近寄れなかったんだろう。

 

屈強なガーディアンに守られる優先席。さながら聖域だ。二つのイスも、その役目を果たす瞬間を静かに待っている気がした。

 

 

しかし、俺は座りたかった。座って好きな音楽を聴きたかった。NW-A30とWI-1000Xと共に喧騒にあふれる車内を過ごしたかった。

 

そんな己の欲望に忠実になった結果、俺は彼らの間をやや無理やり抜け禁断の領域に腰を下ろしてしまったのだ。

 

20分間岡村靖幸を堪能してしまったのだ。

 

 

なんと罪深いことか。そのときの俺はさながら聖域に踏み入ろうとする墓荒らし、禁猟区でハントをしようとする猟師のようだったのかもしれない。なんとでもいうがいいさ。

 

この競争社会において、電車の座席に座らないという選択の先に待つのは圧倒的な生産効率の下落。自らの身体に疲れを溜める行為に、いったいどのような生産性があるというのか。まあ、異論は認める。

 

 

そもそも、この社会は椅子取りゲームなのだ。この世に生きる人間はそのゲームに巻き込まれることが決まったうえで生を受けている。

 

保育園、幼稚園における待機児童問題、公園にあるブランコの取り合い、小学校にいる好きな子の隣、多くの日本人が一度は立ち向かう高校・大学受験、そして限られた内定を争う就職活動・・・数え上げればきりがない。

 

 

そんな中、この【椅子取りゲーム】の実情が最も分かりやすく表れているのが、日本の鉄道車両だ。

 

学校でもさんざんフルーツバスケットや、それこそ椅子取りゲームをしているにも関わらず、「限られた席を確保しなければこの先生きていけない」というメッセージがこもったゲームに興じたにも関わらず、1つだけ空いた電車の席には座らない。

 

 

両隣がデブだから?臭そうだから?だが、その状況は立っていてもどこで襲い掛かってくるかも分からないし、逆にこの現状が変わる可能性だって十分にある。自分が載った次の駅で降りる人だっているだろう。その可能性に賭けなくてはいけないんだ。

 

 

挑戦と変化を恐れる人間にもたらされるものは、ひとまずマイナスは避けた現状に対するわずかばかりの安心と、その安寧がいつ終わるかを知らないまま生きていく不安ではないか。

 

俺はそんなのはごめんだ。多くのマイナスがある一方で、多大なプラスをもたらしてくれる可能性もある状況へと飛び込んでいきたい。ハイリスクハイリターン、上等上等。

 

 

俺は今日さまざまな危険をかいくぐり、椅子取りゲームにおける禁猟区、列車における聖域に足を踏み入れた。これから俺にどんな苦難が待ち受けていようと、俺は立ち向かっていく。そう決意を固め、俺はキーボードを打つ手を止めた。

 

 

 

 

 

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